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本とのこと

本と映画と音楽の話。

もう一生叶うことのない京都への憧れ

おしゃれな間接証明の写真

京都という街に魅力を感じる。魅力というより憧れといったほうがいいかもしれない。この記事を読むと僕の憧れている京都での生活が全部書かれていた。

suumo.jp

 

僕の兄は学生の頃京都に住み、京都の学校に通っていた。兄はいつも「京都はいいところだ」と言っているし、毎年1〜2回以上は必ず京都に行っているみたいだ。

僕が京都を羨ましく思ったのは、たぶん高校生になったばかり(実際は高専生)の頃だったと思う。兄が京都の学校に通うために京都に住んでいたので、家族で京都に遊びに行った。金曜の夜に車で岡山を出て夜中に兄の下宿先のアパートに着く。兄は同じ京都の学校に通う高校時代からの友達と2人で部屋をシェアして暮らしており、そのアパートはそこそこ広かった。左に兄の部屋、右に兄の友人の部屋があり、その間に挟まれて真ん中にダイニングキッチンがあった。

兄も兄の友人もデザイン系の学校の建築科に通っていたので普通の人よりセンスがあると思う。だからそんなにきれいに整っているわけではなかったけどちょっとごちゃっとした部屋のインテリアや、暗めの間接照明や、古そうなスピーカーから流れていたセンスの良さそうな音楽が、高校生になったばかりの自分にとってはこの上なく大人の空間に思えた。

薄明るいダイニングキッチンは照明と音楽の効果で洒落たバーのようにも見えた。夜中に家族で京都に着くと、兄と、兄の友人と、父と母が酒を飲みながらなにやら夜遅くまでそこで話をするのが定番だった。高校生の僕はまだ酒が飲めなかったし、高校生の自分にはまだよくわからない話だと思っていたので兄の部屋に布団をひいてさっさと先に寝ていた。でも自分の参加していない隣の部屋から漏れてくる灯りやBGMや話し声が心地よかったし、タバコ臭い布団も嫌いじゃなかった。4つしか離れていない兄と兄の友人がすごく大人に見えた。

その夜の次の日に散策した京都の街や寺よりも、あの「大人」を感じた部屋が今も僕の中の京都のイメージになっている。兄達が京都でクラブに行ったり、木屋町に酒を飲みに行ったり、バーでアルバイトをしたりという話を聞くたびに、すごいなあ、大人っぽいなあ、楽しそうだなあと羨ましく思っていた。他にも上の記事には兄達はこんな生活をしていたのかなあと想像していたような日々が書かれていた。

散歩のついでになんとなく美術館に寄ってみたり、
数百円の拝観料を払って日本庭園の中を歩いてみたり、
琵琶湖疏水に沿って歩きながら桜や紅葉を見たり、
東大路通りで山伏の集団を目撃したり、
深夜のからふね屋珈琲で試験勉強をしたり、
吉田寮食堂で友達が出ている芝居を見たり、
西部講堂でROVOのライブを見たり、
百万遍の安い飲み屋で抽象的な議論をしたり、
鴨川で鴨や鷺(さぎ)や鳶(とんび)や時には鹿を見たり、
高野川と賀茂川が合流する出町柳のデルタでピザを食べながらビールを飲んだり、
賀茂川の河原でジャンベを叩いて遊んだり、
糺(ただす)の森の古本市をぶらぶら見て回ったり、
京都御所の玉砂利をじゃりじゃり踏みながら「今年の暑さは異常だ」とか思ったり、
少し前に火事で燃えてしまったほんやら洞の2階でコーヒーを飲みながら何時間も本を読んだり、
町家をリノベーションしたお洒落なカフェで場違い感を感じたり、
河原町三条の路上で限りなくゆっくりと動く舞踏家の踊りを見たり、
木屋町の狭くて薄暗いバーでラム酒を飲んだり、
京阪電車に乗りながらくるりを聴いたり、
一乗寺の恵文社でいろんな本の背表紙を眺めるだけ眺めて何も買わなかったり、
他の店より特別にスープが濃いという天下一品の総本店に行ってみたり、
銀閣寺の近くを歩いてたら観光客と間違えられて人力車の俥夫(しゃふ)に声をかけられたり、
大文字山に登って、「大」の字のところから京都盆地を見下ろして、「なんて小さな街なんだ」と思ってみたり、

そうしたものの全てが、徒歩や自転車で行ける範囲にあった。
それはとても豊かな日々で、そんな日々が僕の中にたくさんの「文化的ひきだし」をつくってくれたと思う。

京都には世界の全てがあった - SUUMOタウン,(参照 2016-07-04)

そして学生時代を京都で過ごした兄や、兄の友人は自分よりセンスが良くてたくさんの「文化的ひきだし」があるんじゃないかと今も思っているし、そんな学生時代を過ごしてきた人たちにはかなわないと思っている。

「学生時代を京都で過ごす」という僕のひそかな夢は一生叶うことがないし、その憧れは、単に京都を観光しただけでは満たされそうもない。