本とのこと

本と映画と音楽の話。

「劇場」又吉直樹 新作の感想・書評

[2017年3月23日更新]

純文学ってどういうもののことを指すのかを知らなかったけど、これが純文学ならいくらでも読みたいと思った。

又吉直樹の新作「劇場」感想・書評

 東京で生まれてない者にとって、東京って特別だ。地名を聞くだけで胸のあたりがむずむずする。昼間に東京を歩いたら、ずっと浮足立っている。夕暮れに東京を歩いたら、すごく遠くに来たような気持ちになって心細くなる。夜に酒を飲みに出かけるときはまた浮足立っている。夜中が来てまた心細くなる。

この小説を読んでいる間中、そんな風な自分にとっては特別な東京を歩いている時のような感覚になっていた。

又吉さんの小説には全力で身を預けて、主人公として言葉を発して、音を聴いて、景色を見て、人を見て、思考して、東京を歩くことができる。

主人公・永田って捻くれすぎだろとも思うけれど自分にも身に覚えがある。ひとりになりたいけど、ひとりにはなりたくなくて。何もしてないのになにかをした気分になる。相手のやさしさを時にうっとおしく感じる。他人の活躍が悔しくて、嫉妬して、今の自分と見比べて嫌悪する。ありきたりな表現を嫌い、どこかで見たことがあるありきたりなシーンが自分の目の前に現れると急に恥ずかしくなって、その通りに動くのをやめる。考えて考えて、考えすぎるから手が動かない。

「火花」も「劇場」も、名前は違えど主人公はきっと又吉さん自身だ。「火花」は又吉さんがピースではないお笑いコンビを組んでいた場合の人生だ。「劇場」は又吉さんが演劇の脚本家として生きた場合の人生だ。今まで生きてきた人生をベースにはしているけれど、その自分の思考のままで今とは違った人生を歩んだ場合にこいつはどんな動きをするだろう、周りはどんな反応を示すだろう、と主人公を歩かせて、そんな風にして物語を創造している気がする。

「劇場」では主人公である自分の、人間の、嫌な部分を全開で見せている。こんなのは日常では見せられない。小説だから見せられるんだと思った。”身を削って”というありきたりな表現もこの小説の主人公が嫌いそうだけど、又吉さんが”身を削って”書いた作品だというのが伝わってくる。

2週間前にNHKで放送された「劇場」完成までの又吉さんを追ったドキュメンタリーを僕は見れなかったけど、そこで出版社の編集長が「今度の又吉さんの書いた本の読者は100年後なのかもしれない」と語っていたらしい。この小説はおもしろい。もし自分が100年後の読者だったとしてもきっと同じ感想を持つと確信できる。

又吉さんが「夜を乗り越える」の主題に置いていた”なぜ本を、なぜ文学を読むのか”という問いの答えは、この本を読んだ後に体の中に流れた”激情”のためだ、と作品を持って教えてくれた気がした。

↑ 「なぜ本を読むのか」を語った又吉さんの新書

↑ 又吉さん含む読書芸人おすすめの本たち

↑ 又吉直樹さんの次の芥川賞受賞作

↑ 又吉直樹さんのデビュー作