いま星野源さんのエッセイを読んでいる。
星野源さんのエッセイの感想はまた別に書くとして、エッセイを書きたくなった。というかエッセイを書きたかった。
僕が小学生の頃にちゃんと読書した思い出といえばさくらももこさんのエッセイ集ぐらいだった。ちびまる子ちゃんも好きだったけど、さくらももこさんが文章で書く日常もおもしろくて笑いながら読んでいた。文章だけでこんなに人を楽しませるってすごい。エッセイが読書のはじまりだった。
このブログを書き始めたときも本当はエッセイのようなものを書きたくて、とりあえずなにかお手本になるようものを読んでみようと思った。本屋で好きな作家さんの伊坂幸太郎さんのエッセイを買って読んだ。
伊坂さんのエッセイはすごくおもしろかったんだけど、伊坂さんの人柄と職業だからこそ書ける文章というかなんというか自分が書きたいと思っていたものとは違った。
星野源さんのエッセイは僕がその時に読みたかったそれだった。
何かおしゃれな雑誌の隅にこっそり載っていそうで(実際にPOPEYEというおしゃれ雑誌に載っていたのだけど)、ときに自虐的で、ときにクスッとさせてくれて、ときに小さく胸を焦がすようなそんな文章。そういうのが書きたかった。
ブログでそういうエッセイみたいな文章を書けなかったのは(書かなかったのは)、求められていないからだ。そんなのをアーティストでも小説家でもないどこの馬の骨かもわからない一般人の男が書いても誰も読まないからだ。
だからテーマも読んだ本とか聴いたCDとか観た映画のレビューを中心に書いた。それなら馬の骨が書いた文章でも同じものが気になっている人の目に触れるから。
だから「読まれるブログの文章術!」みたいな記事を見るとだいたい載っている「中身が気になるタイトルをつけましょう!」とか「写真や見出しをつけましょう!」とか「強い言葉を選びましょう!」みたいなしきたりを参考にしたりしながら書いている。
そんな「おれを読んでくれ!」と叫んでいるようなWEBの文章はだんだんと疲れてくる。
読むのも、書くのも。
星野源さんのエッセイを読むとそんなのとは無縁の、ゆるいけど、ぐっとくる文章が広がっていた。ほっとした。
というわけで自分も「読まれるWEBの文章」とは切り離されたゆるいやつを書きたいという気持ちが感化された。
というわけでたまにはエッセイ的な、タイトルも見出しもテーマも気にしないものも書いてみようと思った次第です。
あーなんだかすっきり。