本屋で芥川賞受賞!のポップと共にこの本が置いてあった。
第156回芥川賞。2016年下半期受賞作。芥川賞
って年に2回あるのねーってことと、「火花」や「コンビニ人間」が受賞した上半期に比べると下半期の受賞はあんまり騒がれないんだなーってことを知った。
芥川賞なら間違いないと信じて即買い。
読んだ感想は何か起こることを期待して期待して期待してたら、あ、終わった。
小説「しんせかい」とは
以下の2編の作品からなる本。
- しんせかい
- 率直に言って覚えていないのだ、あの晩、実際に自殺をしたのかどうか
2016年10月31日に新潮社より単行本発刊。文庫化はされていない(2017年3月時点)。
「しんせかい」は2017年1月に第156回芥川賞受賞した。
「しんせかい」のあらすじ
19歳の主人公・山下スミトが【谷】という脚本家と俳優を志す若者達を育成するための施設に入塾する。
【谷】では彼らが共同生活を行いながら、日中は自分たちで施設の小屋を作ったり、地元の農家を手伝ったりと肉体労働を行う。夜になって【先生】から俳優や脚本家になるための講義を受けることができる。
そんな生活の中でスミトが見たせかいが綴られている。
「率直に言って覚えていないのだ、あの晩、実際に自殺をしたのかどうか」のあらすじ
入塾試験を受けるために地元から新宿にやってきた主人公の試験日前夜の出来事。
著者・山下澄人とは
小説家。兵庫県神戸市出身。1966年1月25日生れ。劇団FICTIONを主宰する劇作家・俳優でもある。倉本聰の「富良野塾」第二期生として入塾。
2012年、「ギッちょん」で第147回芥川賞候補、「緑のさる」で第34回野間文芸新人賞を受賞。
2013年、「砂漠ダンス」で第149回芥川賞候補。「コルバトントリ」で第150回芥川賞候補。
2016年、「鳥の会議」で第29回三島由紀夫賞候補。
2017年、「しんせかい」で第156回芥川賞受賞。
「しんせかい」の感想・書評
この話は全て主人公スミトの視点で語られる。19歳のスミトの頭の中でぐるぐる考えたことがそのまま文字に変換されたような、そんな文章だ。実際に起きた出来事の中に、唐突に夢なのか現実なのかわからない出来事が現れてきたりする。時系列が急に瞬間移動したりもする。
僕は著者が富良野塾の第二期生ということを知らずに読んでいた。全部作り話かと思っていたんだけどなるほど若いころにそこで見てきたことが元になっているのだなということがわかるとしっくりきた。
富良野塾というものを知らない人(僕も知らない)から見ると、【先生】が若者を集めて共同生活を送らせ、肉体労働をさせ、講義をするという謎の共同体は怪しい宗教団体のように映る。
何も知らない外部の人間から見ると、家族以外の人間達が共に暮らしている組織ってどうしても怪しげに見えてしまうのだ。
この中で、この先に「どんな『しんせかい』が待っているんだろう」とわくわくしながら読み進めていると、唐突に話が終わった。
事実は小説よりも奇なりとはいうけれど、青春って実際はこんなものなのかもしれない。なにかを期待して期待して期待してたら、あ、終わった。ってなるんだ。
【先生】を教祖のように崇拝している人がいるわけでもなく、俳優志望の熱すぎる若者もいないし、大きな喧嘩も起こったりしない。殺人事件も起きない。
ご飯が足りないと倒れるし、【先生】に褒められたらうれしいし、日中働きすぎたら眠たいし、そうやって色々なことに反応しながら生きていくだけだ。
一期生のみんなで見た月は欠けていた。満月ではなかった。だけどきっとそれはきれいだった。
青春って、そんな感じだ。
「率直に言って覚えていないのだ、あの晩、実際に自殺をしたのかどうか」の感想・書評
読み始めは「しんせかい」とは全く別の話かと思ったけど読み進めていくと主人公は同じくスミトであり、【谷】の入塾試験を受ける前日の話であった。
だけど「しんせかい」と文体がちょっと違ってこちらのほうが主人公が大人っぽく感じた。「しんせかい」だけでは物足りなかった気持ちがこの作品で満たされた気がした。
いつもそうだ、結局何とかなる。なるから自分を改善しようとしない。
こういう言葉は作中では19歳のスミトから語られているが、たぶんそのとき思ったことではなくて50歳の山下澄人さんから出てきた言葉だ。作中でもこんな風に語っている。
関西から来たものにとって「バカ」という罵倒は少しきつすぎる。今は慣れたけれど。しかしこのときは今じゃない。
こういう19歳と50歳の思考が混じり合っている部分がおもしろい。
「しんせかい」は北海道の大自然の中での一年間の出来事であったのに対して、こちらは新宿の大都会での一夜だけの出来事が書かれていてその対比もおもしろい。
「しんせかい」山下澄人はなぜ芥川賞を受賞したのか
芥川賞を最近受賞した本に共通点。お笑い芸人の又吉直樹さんが書いたお笑い芸人の物語「火花」、コンビニ店員の村田沙耶香さんが書いたコンビニ店員の物語「コンビニ人間」、富良野塾生だった山下澄人さんが書いた富良野塾生の物語「しんせかい」。
どれも自伝小説のような物語だ。
著者の人生から溢れ出た物語はその人にしか書けないからやっぱり強いし、心を動かされる。
まとめ:共同生活への期待
最近毎週見ているドラマ「カルテット」を見た翌日にこの本を読んでいると、ふと、どちらも他人同士の共同生活だなということに気がついた。
他人同士の共同生活って「何かが起こりそう」っていう期待感があって、それだけで魅力を感じる。
流行りのシェアハウスに憧れる人もその「何か」に期待して夢を抱くんじゃないだろうか。
だけど現実の共同生活って、「カルテット」のような事件は起きないし、「テラスハウス」のようなおしゃれな恋愛も始まらない。
僕も主人公のスミトと同じ年のときは寮生活をしていた。共同生活に抱いていたわくわくが続くのは最初の数日だけで、その後は日常が続くのだ。
だけど家族以外のみんなと暮らすというのは確かに楽しかったし、退屈な日常を変えてくれた。それに日常の中で嫌でも他人との関わりをぐるぐる考えなければならない環境は間違いなく人を成長させる。
若き日の共同生活の思い出は、不確かだけど、地味に輝いている。
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